1011

目的もなく歩けば振り返ってもなにもない。景色が変わっていても何が変わったのか、きっと気付けない。変わっているのは理解できても目印がないので自分が動いたのか自分以外が動いたのか分からない。振り返るために歩けない。振り返ったときの自分のために、なにか残さなければこの先どこかで振り返った自分は虚しくなってしまう。虚しくならないようになにか残してみたくなる。ただ現状として、振り返って残っているものは嫌なものばかりである。それは残したくて残したものではない。いつか死んでしまえば振り返ることはなくなる。振り返らなければ振り返ったときに見えるものたちは見えない。見えなければ認識できない。認識のなかにないというのは私にとってないのと同じだ。それで安心してしまう。これから死ぬまでに何度か振り返ることになるのに。

1009

良くないことばかり思い出す。ここで終わってしまったらこの人生は確実に失敗だという気がする。

こうやって書いたものはいつまで残っている。自分が見つけようと思えば見つけられる所にある。インクの染みとインクの染み込んだ紙は処分しない限りすぐに消えたりしない。そう考えると声はすぐに消えるし便利だ。空気の振動はいつまでも残らない。けれど誰かに声を聞かれていたら、それは他人の中に記憶として残ってしまう。他人は驚くぐらいに自己の記憶を信用している。それをたまに不思議に思う。聞き間違いかもしれないのに、思い違いかもしれないのに、些細なことなのに覚えている。少し怖い。自分にとって些細な言葉が他人の記憶に深く残ったりする。そういう経験が多かっただけだと思うけれど。

長生きすればする程、感動できるものを見つけるのが困難になる気がする。生まれたばかりのときは全てが自分にとって新しいものだったはずで、生きていれば新しいかったものは既知のものになってしまう。なにより言葉を知って自分の感情やらなにやらを言葉に当てはめるのが上達してしまう。国語の勉強をすれば言葉にできないものを見つけにくくなる。気がする。一度目以降の経験は一度目の経験のときの感覚を引き出しから引っ張り出して使っているような気がする。

生きていれば無意識にパターンを学習してしまう。経験した感動を踏まえて新しい感動を見つける。やっぱり少しずつ難しくなっていくような気がする。

もうよくわからないし、そんなことはないような気がしてきた。

1008

夜に散歩するのがとても好きだ。人とすれ違うことも少ないし、静かだし、眩しくないし、目に優しい。景色は遠くまで見えないけれど、遠くの明かりが綺麗に見える。昼や朝に比べて情報量が圧倒的に少ない。それがとても心地良く感じるし、音楽を聴いて曲にあわせて歩けるし、ぼんやりしたことをゆっくり考える事ができる。最近よく聴いているLOSERは夜っぽい感じがするので聴きながら歩いてるだけでふつうに楽しい。夜に気軽に出歩けるという点において自分が男性でよかったと思う。

1006

曖昧で独りよがりな出来の悪い文章をつらつらと書いて、結果としてそれが全体的にくだらないものになっている。まだ読書感想文とか書いた方が読み応えがありそうだ。

カート・コバーンの遺書の最後の一文は引用らしい。急に何を言ってんだって感じだけど。どこかで最近それを知った。どこかというのも多分Twitterだけど。そもそもカート・コバーンをよく知らないし、それについて知っていることといえば米津玄師のLOSERって曲の歌詞に名前が出てくるってことくらいだ。ニルヴァーナというバンドは聞いたことがある気がする、アップルミュージックとかで。少しずつ気になってきているのでいつか聴きたい。聴くと思う。その遺書の引用の部分は「徐々に色あせていくなら、いっそ燃え尽きた方がいい。」という部分がニール・ヤング(存じない。)の引用らしい。だからなんなんだ。