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なにか選択するとき自分でそれを選んでいると思っている人とそう思っていない人では幸福度が違うらしい。運命みたいなものを信じているかとかいないとかだったかもしれない。うろ覚えだ。

自分はどちらかというと選んでいないと思っている方の人間であると思う。決まっていたものを受け入れるような態度で考えるようなことが多い。例えば天気にだって理由はあるし、サイコロを振ってでた目だって理由がある、自分の今の感情にも理由はある。複雑で理解できないものの積み重ねの結果だ。と考えている。その積み重ねの結果も時間があれば理解できるかもしれないけど。そんなくだらないことをいつまでも調べている暇はない。そんなことをしていたら気がついた頃には死んでしまいそうだ

たくさんの選択肢から好きなものを選んでもいいと言われたとき、好きなものが既に決まっていてそれを選ぶなら選択肢なんて最初からなかったのと同じなんじゃないかと思う。気まぐれで選んだとしても同じことが言えるかも知れない。直線でも曲線でも結局はどこからか続いてきたものでしかないし、続きである限りその前の出来事に影響されている。影響の続きが今だ。一通りしかない。分岐点があったとして通ってきていないものは確認できない。なんだか少し話がずれた気がする。扱いきれない感じがしてきた。

そんなことを書いたけれど、今からこんな文章を書くのをやめて散歩に行くことだってできると思うし、ベッドの上で寝ることもできる。自分のことを深く観察すればこれから僕がどういう行動をするのかわかるかもしれない。ただ普段はこんな選択肢を意識していない。選択肢を認識していない。あまり迷っていないんだと思う。そもそも迷っているのかいないのかさえ考えていない。迷ってもいないし迷っていないこともない。

解釈をしていない。意味を見いだしていない。選択肢について考えればそんなの無限に近いほどの選択肢が見えるきがするけれど、それを全部考える暇はないのである程度選択肢を絞っている。除外した選択肢は存在しなくなる。存在しなくなるというか最初から無いんだけど。

結局、選択肢を見ていないから選んでいない気分になるというとかそんな感じだろうか。選んでいるという認識をもっている人が幸福なのは、今現在の自分に至るまでの経過を知っているから現状に愛着が湧くとかそんな感じだろうか。もう面倒になってしまったので適当に終わらせたい。終わりにする。