0928

言葉は一度手元から離れてしまえば受け手に勝手に解釈されてしまう。どんなに緻密に作られたものでも受け取る人が目を凝らさなければその中には曖昧な印象しか残らない。注意深い人の目に留まれば、それは緻密に作られたものとして受け止められる。結局深かろうと浅かろうと影響が与えられたのならそこに価値は生まれている。誰かが読むまで言葉の羅列は意味を持たない。その人自身が言葉に意味を見出だして意味を持たせている。それは自然に自分の体を動かすのと同じようにように行われている。

0927

私の心は真っ逆さまに落ちることを恐れてあらゆる同意から離れていたのであり、この留保によって殺されていたのである。

LOSER/ナンバーナインが届いた。歌詞を眺めていて思ったけど韻を踏みまくっている。今まで気づかなかっただけかもしれないけど、Bremenあたりから歌詞がリズミカルというか、そういう傾向になってきているように感じる。プロっぽい。

amenで呟いていたのはハチ語じゃなくてアウグスティヌスという人の言葉らしい。そのアウグスティヌスの自伝からの引用なんだろうか。一人の人間の思考の進化を残すような記録としては最も完成されている。らしい。wikipediaで理解しやすい文を読んだ割に、読みづらい説明をアウトプットしている。悲しい。

告白 (アウグスティヌス) - Wikipedia

米津玄師はこの告白を読んだんだろうか。勉強好きじゃないとか言っていた割に教養がすごい。勝ち上がるためのお勉強なのかな。

米津玄師が作曲してきた曲も曖昧な自伝みたいなものだとしたら、ナンバーナインの歌詞も相まってこのCDに一貫性ある気がしてきて素敵だ。

そういえばLOSERの歌詞のイアンとカートがなんなのかっていうのも知らなかったけど昔のアーティストの名前らしい。ざっと調べたらなんか不穏な感じだ。塩の柱とか酸っぱい葡萄とかイアンとかカートとかこういう言葉使うのって作詞の効率がよさそうだ。(作詞の効率とは。)単語自体が意味や物語を持っていて歌詞に厚みが出てくるしファンの考察が捗ります。ありがとうございます。

はうる行きたいな。今までは幸運なことに帰りの会から音楽隊まで全部参加できていたけど、そろそろはずれてもおかしくない。ずっとはずれている人もたくさんいるだろうし。福岡だったから倍率が比較的低かったりしたんだろうか。引っ越ししてしまったし、このツアーは福岡に行かないらしいので運が良いのか悪いのか。

 

0926

今日行える最低限の行いをした。

毎日日記を書くのに憧れて毎日更新してはいるけど、意味の薄い文章を書いているだけで指の運動くらいにしかなっていないし、だからと言って毎日書き残したいことがある訳ない。自分がいつか振り返れるようにと書いてはいるけど、このまま続けて行けば記事の量も半端じゃなくなってくるし意味の薄い文章に途中で飽きて二週間分くらいしか振り返れない。なんてこともありそうだ。誰の目にも入らないのならこんなくだらない文章も白紙と同じだ。読まないと意味がない。読まれるまでは文字の羅列にに意味なんてない。

自分のブログはざっと読むけど好きな曲の歌詞は深読みする。アンバランスな気がしないでもないけど普通なので気にしない。自分の考えに対する解釈なんてそうそう変わるものでもないし。基本的に過去の自分より現在の自分の方がハイスペックなので深読みする価値がない。楽に読めるんじゃないかとは思う。楽過ぎて修正とか余計なことまで始めそうだ。

もうLOSER聴いても一々感動しなくなってしまった。初めは聴くたび鳥肌が立ったような気がするぐらいオーバーに感動していたのに。第一印象ってすごいんですね。YouTubeのコメントで書き出された歌詞を読んだあたりから少しづつ冷めてきた気がする。この曲は歌詞が特に良いし仕方がない気はするけど。別に飽きたくないのに飽きてしまう。好きなのはそんなに変わらないけど。飽きれば新曲を待つしかない。米津玄師が曲じゃなくてよかった。そういえばテレビで米津玄師が取り上げられてるのを撮った画像を目にして知ったけど"黄金の色したライト"だと思ってたところ、"黄金の色したアイオライト"だった。アイオライトってなんなんだ。調べたけど。どこで拾ってきたんだそんな言葉。

作品ってアーティストからすると日記みたいなものなんだろうか。米津玄師がdiorama出したときに「もう作曲やりつくしてしまって空っぽの状態になってる。これからどうしよう。」みたいなことを言っていた気がする。それからまたなんらかの代謝があってまた曲を作るみたいな。ブログに思ってること書くより曲にしたいみたいなことも言っていた気がする。記録。

ある程度時間がたってしまえば過去の自分考えていたくだらないことなんて今現在自分の周囲で起こっていることで上塗りされていつかは忘れる。この先一度も思い出せないなら無かったも同然だ。

 

0925

昼過ぎから久しぶりに晴れた。明日はまた曇りらしい。

今日はキーボードをいじったりして過ごした。ほとんど遊んでいるだけだったけど。今日はなんだか謎の充実感を感じていたけど、部屋を掃除したこと以外は特になにもしていない。明日は早めに起きるために早く寝なきゃいけなかったのに眠れないでいる。

0923

このままだと良くないと漠然と思ったりする。新しいことをしないと。何か覚えないと。昨日よりマシな人間ににならないと。いつまでも朝が苦手でいつまでも同じことを喋り続けていつまでも指を動かすだけでただ歩くだけだ。歩いてなんとなく景色が変わって満足してしまう。生きていたら自分は変わらなくても季節は変わるし近くにいた人はどこかに行ってしまって他の人が横に立っていたりする。自分は何も変わってないのに自分も変わったみたいだと錯覚してしまう。

 

今日はただ鍵盤の上で指を動かしていただけだった。続きを覚えないと。昨日はあんなに焦っていたのに寝て起きたらまた油断してしまう。打ち込みだけで音楽を作ることだってできるはずなのに、なんとなく楽器屋に頼んだギターリペアが終わるのを待っている。

 

バルーンという人がniconicoのユーザー放送でDTMで作曲をする配信をしていた。最近この人の曲をよく聴く。「花瓶に触れた」「夕染」「愛及屋烏」が特に好き。DAWはほぼマウスでやってるらしい。Q-baseを使っていた。もうシンセの音が入るとがバルーンっぽさがあった。

0922

今日は調子が良かった。

このまま引っ張ってもらえるといいのに。

 

・少しだけピアノを触った。やっぱり指が動かない。ギターの帰りが待ち遠しい。キーボ ードを触っていたら気になってきたので、スケールの意味を確かめたりした。意味というかスケールが何を指す言葉なのかみたいなかなり初歩的なことを知ったというだけだけど。今更。

 

・英語のCNNニュースを読み上げて、SIriに聞き取ってもらえるのかっていうのを試したりしたけどかなり絶望的な感じだった。

 

・何について言及して何について言及しないのか、それが結構重要なことだと思ってみたりみなかったりする。どちらかというと僕はそう思いがちだと思う。何についても言及することがなければ誰からも理解されないままだと思うと簡単に幽霊みたいな人になれそうだ。人の記憶に残りそうもない。逆に印象的かもしれないけれど。

 

・そういえばピアノを触ったとき、ちょっといいなと思うフレーズを見つけた。作ったって書きそうになったけど、見つけたの方が正しい気がする。こうやって少しづつフレーズを集めて繰り返したり切り貼りしたのが作曲なんだなとなんとなく思った。これも言い方を変えてしまえば見つけただけなんだろうけど、複雑になってしまえば作ったという感じが強くなる気がする。そのちょっといいなって思った感性も既存の楽曲のあるフレーズに近いものを感じたとかそんなものなんだろうか。